
後見人をしていると、認知症の人の意思をどう受け止めるか迷うことがある。施設入所のために後見人を申し立てるというケースも多い。施設か在宅かを選択しなければいけないときに、「本人の意思の尊重」と「本人の保護」という考えの間で板挟みになることがある。近年要請が強まっているチームによる意思決定支援について考える。
施設か在宅かの選択
私の母は、現在グループホームに入所している。
長らく自宅で一人暮らしであったが、2年前心不全で救急入院した。その後安定したため、退院できることになったが、在宅に戻るのは困難との医師のアドバイスもあり、タイミングよく空きができたグループホームがあったため、入居することななった・
入居することを本人が望んだわけではない、むしろ本人は自宅に帰りたかった。一人暮らしをすることは大きなリスクがあると判断したためで
今でも面会に行くと、ここは知っている人がいない自宅に帰りたいと吐露するが、その度に自宅に帰って一人で生活できるのか、ここの方が安全だと諫めている。
誰しも長年住み慣れた地域や家で生活したい気持ちは自然な感情だ。その希望に応えたい気持ちはあるが、実際に、本人が安全に、また家族が安心できるかということだ。
意思決定支援とは
近年、高齢者や障害者の支援において意思決定支援が重視されるようになっている。障害者権利条約では、第12条に、①障害者を法的能力によって差別することを禁止するとともに、 ②これまでの「代行的意思決定を廃止し、本人に不足する判断能力を意思決定支援によって補い、本人が法的能力を行使できるようにする「支援付き意思決定」に転換するように全ての締約国に求めていることが背景にある。
成年後見制度の実務においても、令和2年3月に「意思決定支援を踏まえた後見事務ガイドライン」が作成され、この4月からは、後見人等が家裁へ報告する後見等事務報告書の様式も改められ、身上保護や意思決定支援に関する報告項目を新設するなどの改訂がされた。
ガイドラインでは、意思決定支援を「特定の行為に関し本人の判断能力に課題のある局面において、本人に必要な情報を提供し、本人の意思や考えを引き出すなど、後見人等を含めた本人に関わる支援者らによって行われる、本人が自らの価値観や選好に基づく意思決定をするための活動」とし、意思決定支援が必要になる場面としては、①施設への入所契約など本人の居所に関する重要な決定を行う場合、②自宅の売却、高額な資産の売却等、法的に重要な決定をする場合、③特定の親族に対する贈与・経済的援助を行う場合など、が挙げられている。
この意思決定支援を適切に行うために、成年後見人等は支援チームを編成し、意思決定支援会議を開催するとともに、意思決定支援のプロセスを客観的に明らかにするために、アセスメ ントシート様式に記録することとなっている。
そして、①意思決定支援を尽くしても本人の意思が明確ではなく、かつ、本人の意思を推定することさえできない場合や、②本人が表明した意思や推定される本人の意思を実現すると本人にとって見過ごすことができない重大な影響が生じてしまう場合において、最終手段として代行決定を行うことが許される。
私の母が、被保佐人であると仮定した場合、保佐人は意思決定支援を行うために、介護支援専門員や医師などで支援チームを作り、「家に帰りたい」という本人の気持ちを尊重して意思決定支援を行うのだろうか。
被後見人の意思をどこまで尊重すべきか
ガイドラインは、全ての人は意思決定能力があることが推定されるという前提に立つ。
ここに言う意思決定能力とは「支援を受けて自らの意思を自分で決定することができる能力」である。
しかし、認知症や知的障害も中度以上になると、意思決定に必要と考えられる4要素(情報の理解、記憶保持、比較検討、意思の表現)を満たすことは難しく、合理的に思考をすることは難しく、「自宅に帰りたい」との希望を、実現すると「本人にとって見過ごすことができない重大な影響が生じてしまう」可能性が高い。この場合、本人の気持ちは受け止めながらも、支援者としては、本人にとって安全な方向へ誘導したり、代行決定することになるのではないだろうか。
本人にとって最善の選択
裁判所の見解では、意思決定支援は、後見人等の意思尊重義務を実践するための支援技法であり、成年後見人の意思尊重義務(民法第858条)に違反し、裁量を逸脱したと言えるような事情がない限り、本人の意思をどのように尊重するかは基本的に後見人の裁量によるものと考えられるとしている。(裁判所ホームページ)
意思決定支援の技法は、後見人が意思尊重義務に違反し、その裁量を逸脱するような決定を行わないようにするためのものであり、支援者とも協議して決めたことを可視化するものである。その意味では後見人を守るツールとなる。
いずれにしても、支援を受けても合理的に意思決定することが困難な人もいるし、本人の希望どおりにすると大きなリスクとなる場合もある。
本人の気持ちに寄り添いつつも、本人にとって最善であると考えられる選択が行われたかどうが大事なのだと思う。